ただ、相変わらず、「いつ買ったんだっけ、これ・・シンドローム」に付きまとわれて、絶対に俺が買ったっていう確信は、あるんだけど、いつ買ったのか、なんで買ったのかが、全然わからないんですよね・・(^_^;)
なので、前に読んでるはずなのに、結構、「ああ、そうなんだ・・」って感じで、勉強には、なってる。
まあ、それって、前、読んだときの内容が、全然、頭にはいってなかったってことだけど・・。
という事で、今日は百人一首の話を。
例えば、こんな歌があります。
有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
この歌は、大弐三位という方が詠んだ歌で、疎遠になっていた恋人が、自分の事は棚に上げて、あなたの事が不安です、といったので、この歌を返したそうなんですが、いつものごとく、内容はあまり興味ないです。
じゃあ、何に興味あるのかというと、この大弐三位という方は、紫式部の娘さんなんですよね。
以前、紫式部と清少納言の、不仲説についてちらっと書きましたが、枕草子の中で、清少納言に、ちょいとネタにされてしまった藤原宣孝と、紫式部の間に生まれたのが、この大弐三位で、名を賢子と言います。
この歌は、五八番目に収録されている歌ですが、お母さんの紫式部は、この歌の前の五七番目で、
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな
という、歌を詠んでいます。
百人一首はけっこう、歌以外にも、こういう順番とかから、この人とこの人は確か、こうだよな・・といった感じの楽しみかたもできるので好きです。
紫式部の前の五六番目には、和泉式部の歌が、大弐三位の後の五九番目には、赤染衛門の歌が、それぞれ収録されていて、この和泉式部と赤染衛門は、清少納言と共に、紫式部日記の中で、それぞれ批評されているんですけど、その二人の歌が、紫式部母娘をはさむ形で収録されているというのは、ちょっと面白いなぁとは思う。
ちなみに、六〇番目の小式部内侍は、和泉式部の娘さん、六一番目の伊勢大輔は、紫式部の後輩で、この二人をはさんでからの六二番目に、清少納言が登場するので、この辺の、紫式部との微妙な間も、なんか、面白い。
最後に、清少納言の歌を紹介。
夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
この歌って、蝉丸の歌と良く、まじっちゃって、「これやこの行くも帰るも別れては・・」で、「はいっ!」って言って取ったはいいけど、逢坂違いでお手付きみたいなのは、小・中学生時代、よく、やっちゃってたなぁって思い出はある。
だから、この歌とか、蝉丸の歌を目にすると、中学時代を思い出して、なんか感慨深くなっちゃう。
なんか、間違った感動の仕方だけど・・(^_^;)
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